社會主義關連文献

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十二月十三日記(幸徳秋水)

十二月十三日記

△嗚呼十二月十三日、明治三十四年の今月今日は故中江兆民先生逝ける日なり。
△翌明治三十五年の今月今日には、神田の錦輝館に於て、次で明治三十六年の今月今日には吳服町の柳屋に於て先生の故舊門人相集りて追悼紀念の意を表せりき。
△而して明治三十七年の今月今日には、或人は不在なりき、或人は多忙なりき、或人は之を欲せざりき、或人は之を忘れたりき、斯くて每年開くべく約せられた紀念會は、自然に廢せられたり、而して予自身は……予は恩師の命日なる此日恰も、堺、西川兩兄と共に實に刑事被吿人として東京地方裁判所の法廷に立てるにあらずや。
△朝來凍雲低く封じて、霙交りの雨寒く、小暗き法廷には午後四時前より早や蠟燭を點じたりき、唯だ板倉、花井、卜部、今村、木下五辯護士が火の如く花の如き辯を揮ふて、言論出版の自由の爲めに萬丈の氣を吐き來るの聲、陰鬱なる四壁に反響して、痛絕快絕、人をして眞に血湧き肉躍らしめき。
△辯論は夜に入りて漸く畢りを吿げぬ、門外に出れば雨は既に雪と化して、霏々として面を撲つ、平民社に至りて晚餐し、少時休息の後ち新宿行の電車に乘る、寒氣肌に砭して、長靴の中の爪先ちぎるゝ如く、窓外には雪益々降しきりて、一望只是れ白皚々たり、嗚呼先生遺族の人々は、今日をば如何に淋しく暮し玉ひけん、許し玉へ、予は遂に訪ひ參らすべき暇を得ざりき。
△友なく書なき電車の中、感慨徒らに湧く、窃に先生の浪華歲晚の詩を想ひ出でゝ、慄へながら繰返して微吟しつゝ、麴町、四谷見付、大木戶と我にもあらで過ぎ行きたりき、詩に曰く、
  茫々守歲浪華津。  賈豎群中寄此身。
  酒腐肺膓氣還壯。  論拘條例筆愈神。
  歐編漢籍課門客。  鷄羮黍飯供志親。
  海內交遊近何狀。  百年我是半閑人。
嗚呼予が文、亦屢々奇禍を買へども、其筆未だ先生の萬一を希ふ可らず、先生若し在して當時の門客が依然として吳下の阿蒙なるを見玉はゞ、如何に言がひなく思玉はん、嗚呼予、先生に負くこと多し。
(明治三十七年十二月十八日、週刊『平民新聞』、第五十八號所載)